2009年10月29日木曜日

ええ街ホイアン PART2

続いて後半です。

JICAの福原さんが市場でオーダーの靴を注文するというので、
それはかなり興味深い!ということで一緒に同行。

前にサンダルをオーダーしたこともあり、
スタスタと軽快に市場の中を通り過ぎ、お店へ到着。

流れとしては・・・
1.カタログや写真を見て希望の色、形などをオーダー
2.その次に今お店にある素材で一番最適なものを選ぶ
3.約1日で完成(はやっっ!!ただそうは言ってもルーズなのでご用心・・・)

という流れのようです。
なので、本当に全て何から何までオーダーというわけではないけれど、
ほぼほぼ自分の希望に近い形にまで仕上げてくれるそうです。

下は料金交渉中の写真。




最初は20万ドンって言ってたのに、
高い素材を選んだから30万ドンということになり、
自分たちはそれはねーだろーと外野からブーブー言いながら
福原さんはベトナム語・英語で料金交渉。

結果25万ドンということでおさまりました。

まぁそれでもかなり安いと思うけどね。

という貴重な場面に立ち会わせて頂き、
そろそろ帰りますか~と思ったら、
「コンニチハー!!!」とめちゃめちゃでかい声で
思い切ったオカマの兄ちゃんが突撃してきました。

名前はHANAちゃんというようです。
帰りにメールアドレスを渡され、そこにHANACHANと書かれてありました。



事前に福原さん福井さんの情報で、
「100人見たら100人がこの人はオカマだって答える思い切った
オカマがこの街にはいる。」という話は聞いていたが、
それは言い過ぎやろ~と内心思っていました。

しかし、これは本当に自分の予想を遥かに超えた思い切ったオカマでした。
写真ではその思い切った感が最大限伝えきれず、残念です・・・

いや~笑った笑った。

どうやら自分の来ている花柄の服を売り込みたいようで、
自分の店に来てくれとしきりに言ってました。

てかこのオカマの方をはじめ、市場を歩いていると「アサコー」と
福原さんの名前を呼ぶベトナム人がちょくちょくいるのです。

福原さんはホイアンに来て5、6か月ですが
現地の人たちの生活の中に自然と溶け込んでいて
声をかけてもらったり、覚えてもらったりしていました。

そういったその土地に馴染む生き方、暮らし方というのが
個人的にもとても好きですし、それこそ海外で生活しているって感じがします。

いや~これが道端の女王と呼ばれる所以なんですね。

自分もダナンではまだまだ市場には進出することが少ないので、
今後市場に限らずもっといろんなところに足を運んでいこうと思います。


という風情を楽しみ、飯とカフェを楽しみ、
ショッピングと人との交流、ハプニングありーのの盛りだくさんな
電動自転車でホイアンぶらり旅でした。

とても楽しかったので、ブログのサイドバーでホイアンの写真を
スライドでアップすることにしました。
自動的に切り替わるので、ご覧ください。

ちなみにこれ利用してます。
PIXIE

今後、ホイアンに行くたびに増やしていこうと思います。
ダナンシリーズもそのうち作ろう。

カヤックはええもん作ってくれるな~。



2009年10月27日火曜日

ええ街ホイアン PART1


 ダナンからバスで1時間半ぐらいのところにホイアンという街があります。

そこの街並みは世界遺産にも指定されていて、
昔は貿易都市として栄えた歴史もあり、様々な外国人が住み、
日本人町もあったそうな。

また華僑も多く住んでいたことから、中華チックな雰囲気もあり、
かつ洋風で洒落た雰囲気もありーので、とにかく雰囲気がいいのです。

いつか住みて~。

ということで日曜日は京大の院生中村さんと一緒に
電動自転車でダナンから約35キロほど離れたホイアンへ行ってきました。

街に着くまでの田園風景もまたええんだわ~。
下の写真は玉置浩二を歌いながら撮影。

しかも最近のベトナムは涼しくていい天気で快適なのですよ。



意外に早く1時間半ぐらいで到着。バスとほぼ同じやな。

ホイアンに着いてからはJICAで来ている福原さん福井さん(漢字あってるかな?)、
日本に2年留学して、今まで会ったベトナム人の中で
1番日本人そっくりなYenさんとホワイトローズを食す。

ギョーザに似た感じなんやが、
ちょっと甘酸っぱいタレにつけて食べるのがこれまた美味いんやわ~。

Yenさんに集合場所の住所言っただけやのに、「ああ、ホワイトローズ食べるんだ。」
とわかるぐらい地元人でも有名店やったようです。



カオラウっていう麺と揚げワンタンとこのホワイトローズがホイアン3大名物やったかな?

そして、そのあとは世界遺産指定されている
旧市街地近辺のおしゃれカフェへ。




こんな感じの街並みで周りにいるのは
観光やロングステイで来ている欧米人だらけ。



これがカフェなんですが、写真に写ってる人は全員欧米人。
そんなお店はここ以外にもたくさんある。

外国人旅行者はピーク時期には1日でホイアンに
4000~5000人ほどがホテルに宿泊してるみたい。

かなり小さい街なのにそれだけ入ればたいしたもんだと思う。

でもベトナム全体の旅行者は確か年間350万~400万人ぐらいって
聞いたことがあるから全体からみるとやはりハノイ、ホーチミンへの
旅行者がまだまだ多いんだろうな。

でもでも中部はミーソン遺跡、フエなどの世界遺産や
ダナン~ホイアンの海、戦争跡地、枯葉剤施設、孤児院などの
歴史を知る場所としても魅力はたくさんいっぱいある。

ボランティアやスタディツアーにしたら学ぶものがたくさんあると思う。

ダナンでは次々とホテル開発が行われている最中だし、
今日も近所でこぎれいな麺のお店が新しくできていた。

これからのベトナム中部の発展と成長の中にいれるのはとても楽しみだ。
頑張ろうベトナム中部!




ということで長くなったから、後半書きます。





2009年10月24日土曜日

ベトナム飛び込み営業体験記INダナン

最近社内で、もっとベトナム企業と出会わないかん!!
という話になっていて、営業強化中です。

現在は研修や在ダナン日系企業経営者のセミナーや
ウェブサイト、本を通じて日本企業とビジネスマッチングの
話などをもちかけている最中です。

しかし、当然私たちベトナム語話せなくて、さらに自分は英語も
ほとんど話せなくてベトナム人スタッフに頼るしか術がないわけです。。

だがしかし、たった1人のベトナム人も忙しいわけで
誰か手伝ってくれる人を雇おう!という話になり、
雇ったはいいものの、2日でトータル5時間勤務で辞めてしまい、
最期の手段は我輩の玉砕覚悟の飛び込み営業となったわけです。

日本にいた頃も人材紹介・派遣の会社に勤めていたのに
なぜか去年のこの時期は営業会社に放り込まれて
東京の杉並・練馬で光回線を売り歩いて地デジトークをしてたなぁ・・・

あれから1年経って今はベトナムで飛び込み営業・・・
来年の10月は脱飛び込み営業目指します。


ということで本題ですが、まずはこんなきれいなところから
スタートしてみました。一応5つ星ホテルの中のオフィスやで~。

外資っぽいのが多いな~。いざ突撃!!





と行きたいところですが、ビビって行けません。。

だって言葉わかんねーし・・・怖いですやん・・・

「トイテンラーカラツー」みたいな自分の自己紹介と
主旨を説明するベトナム語の紙や資料は持ってるが、
9階のフロアで会社の中をチラチラ覗いてウロウロすること10分。

次第に不審者の目で見られるようになり、
ずっと僕の行動を監視しているベトナム人の存在に自分も気づき、
これ以上ウロウロしたら警察行きになる・・・
もう後戻りはできん・・・・




行く先はこのドアの向こうしかありません・・・

でや!!

 
 
・・・・・・・

 


「まあ座って座って~。」

「あなた何人?日本人なの!?ベトナム人そっくりね~。
しゃべらないからこっちがびっくりしたわよ~。」

「彼女いるの~?」

「あ~これ書いたらいいのね~OKOK。」


めちゃフレンドリーな対応でした。

全く通じないベトナム語を駆使して主旨説明の紙を見せて
ある程度理解してくれて、英語もわかる人もいて、
上記のような会話をして帰りました。

なんて優しいんだ。。

その後も何件か行きましたが、
基本的に座れるところまで案内してくれて話を聞いてくれて
最期は握手で締めて終了といった流れです。

実際にアポがとれたところもありました。


素晴らしいところですねベトナムは!!

という感動をベトナム人スタッフに伝えたら
「それは外国人が珍しいからですね~。ベトナム人がやったら無視されます。」
とあっさりさばかれました。

さらに飛び込み営業という習慣もほとんどないようで、
どう対応していいかわからんということも重なって
外国人だから許されることだというスタッフの見解でした。

おっしゃるとおりでございます。。

なにはともあれ、人の優しさを感じれるいい体験でした。

また、これがちゃんと成果につながれば言葉が話せなくても
海外でできることはあるという1つの証明にもなるでしょう。

まぁいきなり行くってのは迷惑でもあるし、
いつまでもこれをしててはいけないですが、今後もやっていこうと思います。




2009年10月9日金曜日

ホムナイ シンニャ!!


ベトナム語だと・・・hom nay la sinh nhat!
でいいのかな?

今日は誕生日!という意味です。

日本では日付変わっていると思いますが、
今日はついに24歳の誕生日だったのです!!

昨日は僕の前職の先輩であるアサノを囲む会があったので、
参加者には僕が明日誕生日だということが事前に知れ渡ったこともあり
いろんな人からメール届きました。

本当にありがたいことです。

しかし、中にはこんなメールも・・・


うんうん。ありがとう。

ここまではええねん。
その続きで・・・・kotoshiと続きます。



・・・25歳の誕生日にはこのようなメールが
送られてこないようにkanojoゲットに全力を尽くします。

そういえば振り返るとリアルに誕生日の時には
いつもkanojoがいないような・・・

去年は東京ドームで誕生日を過ごしましたが、
まさか今年はダナンでベトナム人の皆様や日本人の皆様に祝ってもらえるなんて
1年でえらくぶっとんだ転職をしたものです・・・・

来年もどこにいるかはわかりませんが、できることなら
次の誕生日もここでまたみんなに祝ってもらえている
自分でいれたらいいなと思います。

本当にありがとうございました。


2009年10月7日水曜日

ホウレンソウが甘い理由

今、前職の先輩がまたもやベトナムに来ています。
現在ホーチミンにいるですが、何をやっているか連絡がない・・・

不安・・・

というのもいろんな人を紹介しているのです。

その人とどうなったんだろう?
ええ話になったのだろうか?

などのようなことが気になるのです。


このとき、ふと報告・連絡・相談と同じ、
上司と部下のコミュニケーションと同じやなぁと気づかされました。

ダナンという狭い人間社会、さらにベトナムの特徴かもしれない
噂話による情報伝達力の強さから、もっと言うと居候させてもらっている
生活保護者から上記のようなことはよく学ばされます。

自分が日本で仕事していた時と比べて進歩したことの1つに
この報告・連絡・相談に多少気をつかうようになったということが
1つ挙げられます。


ただ、まだまだ甘いんですわ。
ホウ・レン・ソウが。

というより、ホウ・レン・ソウをしなくちゃ!と思う基準が低いと思うのです。
できないんじゃなくて、別にやらんでもええやろ~なのです。

そうなってしまう原因は多々あると思うのですが、


①ホウ・レン・ソウの重要性がわからない→どんな効果・メリットがあるかわからない
②人が自分のことを気になっているということを意識していない
③自分基準でまあ言わなくてもOKだろうと思えば、言わない。
④付き合う人が自分の気の合う人達だけで限定されている。
⑤自分と違う・合わないは排除してしまう。受け入れない。


といろいろありますが、とにかく、一言でいうと
「もし相手側だったらどう思うだろう?」のイメージが弱いと思うのです。

そのイメージができない、やらない、弱いから自分基準から抜け出せない。
抜け出せないから別にええやろ~からも抜け出せないというサイクルです。

ここから抜け出すためには自分と違う基準を持っている人に
出会う必要があります。

自分と違う基準を持った人間と接することで、
自分の頭の中に自分とは違う人間の基準を増やすことが大切だと思うのです。

それが積み重なっていくと「もし相手側だったらどう思うだろう?」の思考が
習慣化し、深く、鮮明にイメージできるようになっていくと思うのです。


自分がここの基準に触れた気づきとしては、
人から誰か知人の紹介を受けたとき、事後報告をしないと怒るのです。

なんて恩義のない奴だと思われるのです。

まぁ今になって思うと、おそらくどこでもそうだと思うのですが、
1つの例として・・・

ただ、自分の気の合う人、好きな人、落ち着く環境に留まっていては
このようなことがわからない可能性は大いにあると思います。

少なくとも自分は自分の基準の中では、
そんなん別に報告せんでもええやろ~の基準だったのです。


という前職の先輩からの連絡がなく、
自分が報告を待つ立場になって、初めてホウ・レン・ソウの
重要さ、大切さを感じている今日この頃です。


自分の当たり前が当たり前じゃない社会の中で生きることは
非常に視野が広がり、気づきが多くなれると思います。

もちろんそれが窮屈なこともありますが、
それこそが社会の中で生き、変化に応じる力をつけ、
生きる力を身につけていくということにも繋がるような気がしてます。

自分の意志1つで自分を変えようとするよりも、
生きる環境を変えることによって、自分を変えようとすることの方が
より効果的だなぁと感じています。

人が人を育てるのではなく、環境が人を育ててくれるとはよく言ったものですな。


食べ物ネタを期待して読んだ人失礼しました。





2009年10月4日日曜日

5万ドン頂きました!!

実は9月ぐらいから日本語が話せるベトナム人とダナンを中心とした
中部在住日本人を集めたビジネス勉強会・日本語交流会を実施しています。

昨日で4回目だったのですが、ついに昨日は有料で実施したのです。
結果は4人来てくれて合計5万ドン頂きました。

初回の人は無料にしているので、2人が有料で参加。

ちなみに日本円にすると、約250円~300円というところでしょうか。

1万円はだいたい190万ドンになります。
僕の計算方法は0を2つとって、そこから60%です。

いろいろ人によって、計算方法も変わり
50%だという人もいますので、そのあたりはどんぶり勘定でご勘弁。

まぁつまり日本円にすると、有料と言いながらも激安ですな。

そしてそこから私の今回取り分は・・・


2万ドン。

爆安ですな。

しかもそのあと1万ドンのビール2本飲んだから0。

本当に僕のこのワーキングプアーとしての
才能はどこから来ているのでしょうか・・・


しかし、今ダナンで展開している日本語塾なども
月謝制ですが、1回の授業まで落とし込んでみると
大体2万ドン~3万ドンだと言われています。

なので、現地基準からすると決して安くはない料金。

しかもこんな若造が開く会に価値を感じてくれて、
お金を支払ってくれたことにも本当に感謝を感じます。

さらに自分自身としても自分で料金設定をして、
自分主体で勉強会内容を考え、実施してお金を頂くという経験は初めて。

と言っても、この会のきっかけは
生活保護者であり、上司である方からの「交流会セッティングしろや。」の一声で
自分が声をかけて集め、その後も無料で2,3回やってたら、
参加者の一人が「有料にした方がいい!」と言いだし、
急きょ有料という流れなので、主体とは言えば主体ですが、
流されるままになんとかこなしていくところが主体でないような気も・・・


ということはともかく、自分自身がやることに対して誰かが価値を感じ
お金を頂けたという経験は何物にも代え難い経験だったと思います。


日本にいた頃からワーキングプアだった自分らしい
本当に小さな小さな一歩の成功体験。

でもこれを見てこんな奴がベトナムで頑張ってんだから、俺も少しは
頑張るかと思ってくれたり、まだまだ俺もやれるなと思ってくれるのなら、
それは自分にとってここで活動していることに意義を感じられることだと思う。


この小さな小さな成長に対して、
「よくやったな俺。」と声をかけるのではなく、
今はまだ、「もっと頑張れや俺。」と声をかけようと思う。

なりゆきに流されて、なんとかこなしていくのも自分らしいが、
もっと自分の力で立っていきたい。

まぁひとまずは企画段階から支えてくれた人たちと場所を提供してくれた
EENA HOTELと集まってくれた皆さんに感謝感謝です。