2014年3月25日火曜日

つながりを創り出す

チェンジメーカー留学inベトナム。
気が付けばプログラムを始めてから3年が経ちました。

3年続けていることって何があるだろう。
学校生活、部活、マンガ、ベトナム生活・・・
僕が飽きっぽいのかダメ人間なのか意外と特筆できることってありません。

会社勤めは3年以上しましたが会社に3年居ることに大した意味はなく、
また会社の仕事と一口に言っても毎日いろんな仕事があるわけで
一度で終わってしまうものだって多々あります。

そんな自分が仲間たちと共に0から作り上げた
チェンジメーカー留学。

特にこの1年間を通じてほんと続けててよかったな~と思えたような気がします。

例えばで言うと、
自分でかってにホイアンにうどん打ちに行く学生や、

東京の我が家に遊びに来てくれたり泊まっていく学生、
最近の近況報告をうだうだ話したり、
ベトナム人学生達が日本に来てくれて再会できたり、
ついに日本生まれ日本育ちのベトナム人という新しい参加者層ができたことで

よくわからんが楽しい輪が生まれていきそうな予感がしているのです。

しかし、そもそもなんで続けられたんだろう?ってことを考えた時、
「そりゃもちろん仕事ですから・・・(汗)」と言えちゃいますが、
それ以上の理由としては
人と人とのつながり、出会いが生まれているからこそ続けてるんだと思います。





ただ正直、「つながり」って言葉はあまり好きではないんですよね。笑

何と言うんでしょう、、、それは本当に大切なものなのに
言葉にするとありきたりすぎてその言葉に重みを感じられないからかもしれません。

でもそれの確かな手ごたえを感じられたときや「つながったな」と思えた瞬間、
その後に続くその人との関係性など、、、感覚をうまく表現できないですが
そういった自分とその人の間に線ができること、線が太くなること、
その線が他の人へ新たな世界へ向かっていくこと、
そんなことが好きで続けていられるのかもしれません。

チェンジメーカー留学を始めた原点は
「より多様な生き方があっていいじゃないか。」です。

そこからリストラからのベトナムで仕事をつくるが始まり、
結果わかったのが「日本」がもっているものと
ベトナム人の協力があれば仕事はつくれるということでした。

さらにそこから付加価値として生まれたのが
参加者同士の一体感。いわゆる「つながり」でしょうか。

これはきっと寝食と共にしただけではなく、
仕事をつくるという目標に向けて活動したからこそ
生まれたものだと思っています。





ここまで書いていて思うのは「つながり」という言葉が
一般的に持つイメージの中に「優しさ」や「助け合い」の要素が
強すぎて僕の中ではなんか違うのかなーと思いました。

そう考えると「つながり」とは前を向いて行動していこうとするからこそ、
つながれるのであり、何も行動しない人はつながりにくいのではないか?と思います。

また自分ができること、自分がもっているものと

一方自分にないものや相手に助けてほしいことの合致があって
つながれるんじゃないかとも思うのです。

その時に自分の想いや自分の弱さなど等身大の自分を開く必要もあります。

これまた書いていて思うのですが、僕はつながっていく過程や
つながり方にどうやらこだわりがあるのかもしれません。

そして自分自身がチェンジメーカー留学という
仕事を通じて、人とのつながり方を学んでいるんだと思います。




自分自身が体験したことをみんなにシェアし、
同じとまでは言えませんが似たような経験をすることで
僕たちと参加者の中である一定の志向性が共有される。

価値観、経験の共有というのもつながりをつくっていくために
大切な要素の1つだと思うし、それを実感したということで
より強固な関係性をつくれるのかなと思いました。

だから最近思うのは、プログラム終了直後の満足度を
大切にするのはもちろんですが、プログラム参加してから1年後、2年後に
なって改めて参加してよかったなぁと思える
人の輪をつくっていきたいなと思う今日この頃です。


よくチェンジメーカー留学inベトナムは海外で働くことを推奨する
プログラムなのかと思われがちなのですがそうではなく、
自分自身の価値観にそって、日々を楽しく誇らしく生きるために
今自分は精一杯それに向き合っているのか問い実践へと
つなげていく場だと思っています。

だから海外で働きたいと思う人もいるし、
自分の地元をより幸せにしたいと思う人もいる。

また特別なことをしている人を尊ぶコミュニティではなく、
自分の価値観にそって自分の道を進んでいる人を尊ぶ
コミュニティでありたいと思います。

当たり前ですが、誰もが自分が歩みたいと思っている道をいつでも
順風満帆に歩めているわけではありません。

しかしそれに向かって一歩ずつでも、時には停滞してくすぶっていたとしても
じっと見守り、支え合う場でありたいと思います。

また次回夏に新たな仲間に出会えることを楽しみにしながら、
今回のチェンジメーカー留学inベトナムを終えての感想を終わりたいと思います。

ご支援頂いてる皆様、いつも本当にありがとうございます。





2014年1月26日日曜日

日本の若造が海外の地方都市でもがいた時間は意味あるものだったんだ。と改めて振り返る武者修行ツアー

こんばんは。
さて、今やっている仕事の話を少々。

現在、JICA国際協力フィールドスタディプログラムという
プロジェクトに畏れ多くも少し携わっております。

そのプログラムではJICAのプロジェクトが行われいる(いた)場所で
フィールド調査を行うのですが、僕たちはバックマー国立公園を
訪れることになっています。


バックマーってどこだ?そこでなにをやってるの?と興味ある方は
公園概要プロジェクト概要もどうぞ。


本記事の主旨としましては、上記はさらっと読んで頂ければOKです。

なぜなら、僕が書きたいことはこの仕事がそもそも生まれた経緯、、
と呼べるほど大それたものではないですがある男の勇敢(無謀?)な一歩が関連しておりそれについて改めて言及したいのです。



2014年1月10日金曜日

遅れてやってきた2013年振り返りちょっと詳細編

こんばんは。

前回「詳細な振り返りは次回で!」と書いて終わったら
「書くぞ書くぞ詐欺だ!」と煽られましたので
今年は魂込めてブログ書きます。

さてさて、ガチ住所不定無職で東京に帰ってきたのですが、、


そもそもどこに住んでなにしようか??


という状況でした。

僕は元々兵庫県出身で大学卒業まではずっとそっちで、
仕事で東京出てきて、1年後にはベトナム行って、
んで帰ってきてなのでまあ東京のほうが知り合いも多いし
仕事もおそらくこっちのほうがあるかな~ぐらいしか
ほんとに思ってませんでした。


どうにかなるだろう5割、残り5割はどうにもならないかもしれない。笑

2014年1月6日月曜日

遅れてやってきた2013年の振り返りざっくり総括編。

本当に久しぶりにブログ書いてます。

「最近ブログ書いてないね。なんでブログ書かないの?」
と何度か読者の方々から尋ねられましたが、
「創作意欲が湧かない。」
などと作家気取りなことをほざいてたら、
いつのまにかPV数が10ぐらいにまで落ちていました。

もう調子のらないで、真摯に日々の出来事を書いていこうと思います。

本年度もどうぞよろしくお願い致します。


さて、まずはざっくりと2013年の振り返りをしようかと思います。
別の投稿にて細かな出来事についても書き起こそうと思います。

2013年当初、書初めで書いた言葉は、、、






忍耐。(字汚すぎて泣ける。)


当時ガチ住所不定無職だったので、
今年の1年は暗中模索で耐え忍ぶ年なんだと
予想(覚悟)していたことがよくわかる一言ですね。