2009年10月7日水曜日

ホウレンソウが甘い理由

今、前職の先輩がまたもやベトナムに来ています。
現在ホーチミンにいるですが、何をやっているか連絡がない・・・

不安・・・

というのもいろんな人を紹介しているのです。

その人とどうなったんだろう?
ええ話になったのだろうか?

などのようなことが気になるのです。


このとき、ふと報告・連絡・相談と同じ、
上司と部下のコミュニケーションと同じやなぁと気づかされました。

ダナンという狭い人間社会、さらにベトナムの特徴かもしれない
噂話による情報伝達力の強さから、もっと言うと居候させてもらっている
生活保護者から上記のようなことはよく学ばされます。

自分が日本で仕事していた時と比べて進歩したことの1つに
この報告・連絡・相談に多少気をつかうようになったということが
1つ挙げられます。


ただ、まだまだ甘いんですわ。
ホウ・レン・ソウが。

というより、ホウ・レン・ソウをしなくちゃ!と思う基準が低いと思うのです。
できないんじゃなくて、別にやらんでもええやろ~なのです。

そうなってしまう原因は多々あると思うのですが、


①ホウ・レン・ソウの重要性がわからない→どんな効果・メリットがあるかわからない
②人が自分のことを気になっているということを意識していない
③自分基準でまあ言わなくてもOKだろうと思えば、言わない。
④付き合う人が自分の気の合う人達だけで限定されている。
⑤自分と違う・合わないは排除してしまう。受け入れない。


といろいろありますが、とにかく、一言でいうと
「もし相手側だったらどう思うだろう?」のイメージが弱いと思うのです。

そのイメージができない、やらない、弱いから自分基準から抜け出せない。
抜け出せないから別にええやろ~からも抜け出せないというサイクルです。

ここから抜け出すためには自分と違う基準を持っている人に
出会う必要があります。

自分と違う基準を持った人間と接することで、
自分の頭の中に自分とは違う人間の基準を増やすことが大切だと思うのです。

それが積み重なっていくと「もし相手側だったらどう思うだろう?」の思考が
習慣化し、深く、鮮明にイメージできるようになっていくと思うのです。


自分がここの基準に触れた気づきとしては、
人から誰か知人の紹介を受けたとき、事後報告をしないと怒るのです。

なんて恩義のない奴だと思われるのです。

まぁ今になって思うと、おそらくどこでもそうだと思うのですが、
1つの例として・・・

ただ、自分の気の合う人、好きな人、落ち着く環境に留まっていては
このようなことがわからない可能性は大いにあると思います。

少なくとも自分は自分の基準の中では、
そんなん別に報告せんでもええやろ~の基準だったのです。


という前職の先輩からの連絡がなく、
自分が報告を待つ立場になって、初めてホウ・レン・ソウの
重要さ、大切さを感じている今日この頃です。


自分の当たり前が当たり前じゃない社会の中で生きることは
非常に視野が広がり、気づきが多くなれると思います。

もちろんそれが窮屈なこともありますが、
それこそが社会の中で生き、変化に応じる力をつけ、
生きる力を身につけていくということにも繋がるような気がしてます。

自分の意志1つで自分を変えようとするよりも、
生きる環境を変えることによって、自分を変えようとすることの方が
より効果的だなぁと感じています。

人が人を育てるのではなく、環境が人を育ててくれるとはよく言ったものですな。


食べ物ネタを期待して読んだ人失礼しました。





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